ノースプレインファームについて

ノースプレインファームが考えてきたこと〜「農的不易流行」

「自分が生まれて気がついたら、先祖代々、ここの土地に住んでいた。
寒冷地で重粘土壌で条件が悪いと、親や先祖を恨むわけにもいかない。
しかし、その地域で生産や生活の体系を築き、次の世代へ豊かに高めてつなげていく、そんな生き方が大切だと思っている。」
(ノースプレインファーム 代表取締役会長 大黒宏)
写真:昭和25年頃撮影。写っているのは大黒の叔父。これが会社のマークの元になった。

明治開拓期、北海道・興部へ入植

ノースプレインファームの前身である大黒牧場は、北海道開拓期の明治31(1898)年に、現在の紋別市上渚滑へ入植し、その4年後に隣町の興部へ移り本格的に営農を始めました。
当初より牛を数頭飼っていましたが、この頃は畑作が中心でした。しかし、オホーツク地方は冷害のために凶作続きで、大黒牧場も昭和32(1957)年に畑作を止め、酪農へ転換しました。
その後、牛の頭数、乳量が伸びて、酪農経営は軌道に乗り、興部町もまた、一躍酪農の町へと発展を遂げました。

来るべき時代への予感

ノースプレインファームの創業者・大黒宏は、大黒牧場が酪農に転換した前年に、大黒家の4代目として生まれました。成長していく過程で、いろんな疑問が沸き起こってきました。大黒家の4代目として、子どもの頃から感じていた「自分は農家の跡取りなんだ」という思い。そんな中で、大黒少年の頭には、次々と疑問が湧き起こります。
小学校時代のこと。給食に出る牛乳が、都会の工場から運ばれていると知り「なぜ、地元の牛乳が飲めないんだろう?」。本格的に酪農を志し、大学で学んだ際にも「今の酪農は、ずっと続けられる形態なのだろうか?」。戦後、興部に700戸あった農家が半数以下に減少(平成21年時点では79戸)し「このままでは過疎化で地域が崩壊する。規模拡大で生き残ってたとしても、誰もいない町になる」。そんな様々な思いがよぎりました。

食の安全、自然の循環を考えた農業へ

大学卒業後、大規模酪農の先進国であるニュージーランドとオーストラリアを半年間旅する中で、ひとつの確信を得ます。「規模拡大を追求したところで、こうした国々には到底叶わない。日本の農業のあり方は別のところにあるはず」。
帰国後に出会った『農的小日本主義の勧め』(篠原孝著)にも大きな示唆を受けます。
篠原氏は「地産地消」という言葉を産み出した人。氏の説く「日本の農業は、水、土、森、草、太陽の光といった自然の恵みを受けて、永遠に循環を続けるべき産業」という農業観に共鳴し、「興部の圧倒的有利な条件というのは、草木が豊富に生えること。草を収奪しすぎない農業というのが、長く続く農業じゃないか」「食の安全や循環を考えると、むしろ小さい農業が必要だ」と方向性を定めたのです。

「農的不易流行」を追い求めて

それは、量を追い求める農業から、質を高める農業への転換でした。そのためには、いかに牛乳に付加価値を付けるかがカギ。そこで、小学校時代からの夢でもあった牛乳の販売を思い立ちます。
粘り強い折衝の結果、新規の乳業許可を認めない方針だった国の姿勢を転換させ、実現にこぎつけました。昭和63(1988)年のことです。そして、ノースプレインファーム(株)を設立。自前のミルクプラントを立てて誕生した「オホーツクおこっぺ牛乳」は、初日はわずか27本の宅配のみでしたが、酪農家自らが牛乳を売るという珍しさと、低温殺菌&ノンホモジナイズの味の良さが次第に評判となり、注文が殺到。将来への手応えを感じるスタートとなりました。

時代を見据えつつ、軸は変わらない

ノースプレインファームは、「オホーツクおこっぺ牛乳」以来、乳・肉製品や、生キャラメルなどを世に送り出し、道内外に販売してまいりました。しかし、私たちの基盤はあくまでも農業、そして、このオホーツクの地にあります。
かつては、1家族しか養えなかった酪農が、生キャラメル全盛の頃には、グループ会社を合わせて100名を超えるスタッフを抱える大所帯となりました。しかしながら、農業の1次、2次化に成功したかに見えた会社経営にも、時代の対応が求められ、大手との共存できるための3次化(生産・加工・販売の6次化の一環として)に取り組みましたが、経験の乏しい小売、流通では苦戦を強いられました。
現在、再度自社の原点である「酪農」に主軸を戻して「牛乳・ヨーグルト・チーズ・ソフトクリーム等」の加工に専念し、他メーカーとは差異化した製品を作る会社へと転換を進めています。
企業理念は「農的不易流行」。元々は俳人の松尾芭蕉が体得した境地「不易流行(常に変化して新しく<流行>、しかし本質は決して変わらない<不易>のが風雅のまことである)」から来ています。「農的」という言葉には『農的小日本主義の勧め』に書かれている農業を不易とし、消費者ニーズを流行とした会社づくりを目指したいとの思いによります。
無農薬、無化学肥料を守り、循環型の「有機農法(オーガニック)」を進めており、その実現も間近となってきています。
自然と生命の循環を大切に守り、本当に安全・安心でおいしく、そして出会ったみんなが幸せになれる食品・食文化を提案し続けていくこと。それをオホーツクの辺鄙な農村が世界に発信できること。それがノースプレインファームの願いです。